
高倉健が逝ってしまった。
我一晩、噎びながら、報道番組での世間の反応を見て想う。
日本人には、その人が何をしてきたか(=doing=実績)というより、その人間がどのような在り方(=being=人生観、価値観)であったか―に、評価の趣がある。
ゆえに、日本人のそういった伝統的精神の在り方そのものを純化した〝赤穂浪士討ち入り”や〝新撰組”〝桜田門外の変”は、伝説となった。
…
たとえば、…….寡黙、男の中の男、不器用……すべては、健さんのその人間観の現れからくる美意識の一端であろう。
だからこそ、日本人にとって、その人間の実績だけの是是非非などより、吉田松陰、西郷隆盛を、そして渥美清、赤塚不二夫、ジャイアント馬場、極まるところでいえば、美空ひばり、田中角栄、そして高倉健をこよなく愛したのかもしれない。
とても寂しいし、悲しいし、盟友であった戦後日本人の想いを一緒に紡いだ長嶋茂雄には、本当に長生きして欲しいと願わずにはいられない訃報であった。合掌。。